最近、ホーチミンの街を歩いていて、中国語を耳にする機会が明らかに増えました。中華料理店も目に見えて増えています。一方、日本旅行について旅行会社の知人から聞こえてくるのは「日本、高くなったね」という溜息です。この二つの風景は、実は一本の線でつながっています。
1. 街の風景が変わった
ベトナムと関わって四半世紀になりますが、ここ一年ほどの中国人観光客の増え方には驚かされます。ビジネスで来ている人も多く、中華料理店の開店ラッシュはその分かりやすい証拠です。数字もこの肌感覚と一致しています。ベトナム国家観光局の統計では、2025年にベトナムを訪れた中国本土からの旅行者は約528万人で、外国人客全体の25%を占めました。
韓国人については、変化をあまり感じません。同じ統計で韓国からの旅行者は約433万人と、以前から中国に次ぐ規模です。ベトナムに住む韓国人も日本人よりはるかに多く、韓国の存在感はすでに日常の一部になっています。
注目したいのは、逆方向の流れです。ベトナム人が海外へ出かけるとき、どこを選んでいるのか。ここに日本が直視すべき変化が起きています。
2. 中国は「地上」を安くしている
2026年に入り、ベトナムの旅行業界では中国ツアーが急伸しています。ベトナム紙ザンベトは、海外旅行者3人のうち2人が中国ツアーを選んでいるという旅行会社の実感を報じました。あくまで業界関係者の推計ですが、現場の勢いを伝える数字です。
背景はいくつもあります。まず手続きです。在ベトナム中国大使館・総領事館は6月17日から、個人旅行ビザの申請で求めていた5,000万ドン以上の預金残高証明などの財力証明を不要にしました。審査で追加書類を求められる場合はあるものの、心理的なハードルは大きく下がっています。短期ビザの指紋採取も、2025年12月21日から2026年末まで免除されています。
次に政府間の後押しです。4月には両国首脳が「ベトナム・中国観光協力年」の始動を宣言し、広西の桂林・陽朔方面への直行便も開かれました。Alipay+を通じた越境QR決済も、旅行中の支払いの壁を下げています。
そして最も効いているのが価格です。ハノイ観光協会の副会長は、中国の地方政府が旅行会社に資金を出し、航空運賃も補助しているため、ベトナム人向けのパッケージが中国人自身の国内旅行より安くなることもあると話しています。つまり中国は、旅行代金のうち航空券以外の「地上費」を、政策によって抑えているのです。

3. 旅慣れた人ほど「近くて軽い旅」へ
もう一つの流れは、旅慣れた層の動きです。韓国は2026年3月末から、ベトナム人向けの数次ビザの対象を広げ、5年または10年の有効期間で何度でも訪れやすくしました。韓国側の統計では、上半期に韓国を訪れたベトナム人は29万9,656人で、前年同期より11.4%増えています。
私の周りでは、旅行好きの知人から「香港に行ってきた」という話を聞くようになりました。香港は、2021年末からビザ申請がオンラインで完結するようになったものの、ベトナム人は今も入国前にビザを取得する必要があります。それでも選ばれるのは、近くて、短い日程で都市の食と買い物を楽しめる「軽さ」があるからでしょう。香港観光局によると、2025年はベトナムからの訪問者が25%以上伸びています。
ただし公平を期すと、減便の影響は日本だけの問題ではありません。香港観光局も、2026年上半期は燃料費の高騰で近距離便が減り、近隣国の通貨安も重なって、近距離市場からの訪問者が伸び悩んだと説明しています。
4. 日本の「地上費」が上がった
では、日本は何が「高くなった」のでしょうか。ある旅行会社の関係者からは、日本線の航空運賃は他の国と大差がないものの、日本国内のバス代とホテル代が上がったことが大きい、という話を聞きました。
実際、日本の貸切バス運賃は運転手不足を背景に引き上げが続いています。国土交通省が示す運賃の改定により、2023年には一般的な観光バスの運行で、地域によって20〜32%の値上げになりました。2025年9月にも、運転手の賃金を全産業平均まで引き上げる原資を確保するため、再び運賃が改定されています。ホテルも同様で、東京商工リサーチの調査では、上場ビジネスホテル9ブランドの2025年度の客室単価は1万4,463円と、2021年度の約2.3倍になりました。
そこに重なったのが、7月からの入国関連費用です。訪日ビザの手数料は、一次ビザが約3,000円から約1万5,000円へと引き上げられました。ベトナムは、日本のビザ発給数で中国、フィリピンに次ぐ上位3カ国の一つです。同じ日には、出国時の国際観光旅客税も1,000円から3,000円に上がりました。
誤解のないように書いておくと、運転手の待遇改善も、オーバーツーリズム対策の財源確保も、日本国内にとっては必要な判断です。問題は、それが送り出し国の旅行会社からどう見えるかです。近隣国が地上費を抑え、入口を広げているのと同じ時期に、日本は地上費と入口の両方が重くなりました。
旅行会社は、売れる商品、売りやすい商品を作ります。中間層向けの募集型ツアーで日本が「作りにくい」商品になれば、店頭の日本ツアーは減り、需要はさらに細っていきます。旅行会社の溜息は、この循環の入口にいる人の声なのだと私は受け止めています。
5. 狙うべきは「二度目の日本」

ここまでを整理すると、ベトナム人の海外旅行は三つの層に分かれ始めているように見えます。価格を重視する中間層は中国へ。旅慣れたリピーターは、韓国や香港のような近くて軽い旅へ。そして富裕層は、今も日本を選んでいるように見えます。JNTOによると、2026年上半期の訪日ベトナム人は39万6,500人で、前年同期比8.7%増と伸びは鈍ったものの、成長は続いています。観光庁の調査では、観光目的で訪れた人の1人当たり支出も、1-3月期は25万6,474円と前年同期比10.7%増えました。桜の季節の日本は、依然として特別な存在です。
日本にとって最も痛いのは、二番目の層を失うことです。政府が2026年3月に閣議決定した第5次観光立国推進基本計画は、地方部への訪問意欲が高いリピーターを4,000万人、地方部の延べ宿泊者数を1.3億人泊とする目標を掲げています。地方まで足を延ばしてくれるのは、ゴールデンルートを一度経験した「二度目、三度目の旅行者」です。まさにその層を、近隣国は軽さと気軽さで取り込もうとしています。
だからこそ、地方には手があると考えています。価格で中国と競う必要はありません。混雑と価格高騰が集中する大都市を経由せず、地方空港への直行便と地方での宿泊を組み合わせれば、旅行会社が「作りやすい」日本の商品を設計できる余地があります。ベトジェットエアによる広島〜ハノイ線の増便や静岡〜ハノイ線の新規就航は、その入口になりえます。
大切なのは、送り出し国の旅行会社の溜息に、受け入れる側が耳を傾けることです。売りにくさの正体を知り、二度目の日本を選ぶ理由を一緒に作る。それが、量が伸び悩む今の局面で、地方が質で稼ぐための第一歩だと考えます。

■関連リンク:【No.18】ゴールデンルート依存からの脱却 【No.22】ビーチリゾートが動き出した。ダナンの観光戦略から見えてくるもの
■現場からの示唆:
1. ベトナム向け商品の見積もりを、航空券と「地上費」(バス・宿泊)に分けて洗い出してください。大都市を経由せず地方で完結する行程にした場合に地上費がどこまで下がるかを、送り出し側の旅行会社と一緒に確認することが出発点です。
2. 誘客の対象を「初めての訪日」から「二度目以降の訪日」に切り替えてください。プロモーションの予算配分と素材を、ゴールデンルートを経験済みの層に響く季節・体験の訴求へ見直す価値があります。
3. 中国・韓国・香港の招致策(ビザ、補助金、旅行博への出展)を競合情報として定期的に確認してください。そのうえで、ベトナムの旅行会社にとって自地域の商品が「作りやすく、売りやすい」かを、少なくとも年に一度、直接聞き取って点検することをお勧めします。
※本記事は2026年10月時点の情報に基づいています。ベトナムの制度は変化が速いため、実務判断の際は最新の公式情報をご確認ください。
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